午後8時を回った頃、遠雷のような地響きが微かに体を震わせた。

地震か?

違う。

これは花火大会の音だ。

 

出会ったとき、小巻は15歳だった。

ひと回り年上の私にとって、小巻は教え子の一人であり、いつも教室の最前列で黙々とノートをとる少女だった。

小巻は髪の豊かな少女だった。

けれども、その豊かな髪には白髪が目立った。

15歳の中学3年生にしてみれば、髪を染めることよりも、目の前に迫った受験を乗り切ることの方がもちろん重要だったと思うし、そういうことを気に掛けてやるはずの母親も、髪を染めさせてやるのは高校生になってからでも遅くないと考えていたのだろう。

 

1994年2月14日。

その日、私はボブ・ディランのコンサートに向かう途中だった。

バレンタインデーの夕刻、人混みでごった返す広大な駅のコンコースで、偶然にも対角線上に交錯する格好で互いを認識し合った小巻と私は、一瞬にして5年の月日を跳び越えていた。

20歳になった小巻は眩しいほどの「女」になり、あの頃白髪が目立った豊かな髪は艶やかに黒光りしていた。

32歳の私は今ほど太っておらず、今ほど髪も減っておらず、独身の気儘な暮らしをそれなりに楽しんでいた。

 

花火大会に行こう。

そんな約束を交わしたのはいつだったのか。

 

 

「わー、すごーい!」

小巻は私の肩に頭を乗せ、腹の底に響くドーンという音とともに頭上に広がる光のパノラマに見惚れていた。

膝を抱えて地べたに坐る2人は、その日を境に男と女になった。

 

 

欲しいモノが無いという記事は、たびたびここで書いている気がする。

 

飲む、打つ、買うは、一切やらない。

酒好きな男から見れば、さぞかし詰まらぬ人生と映るだろう。

(酒が美味しいと思ったことなど1度も無い)

パチンコや賭け事に興ずる男から見れば、何が楽しくて生きているのかと思われるだろう。

(パチンコ屋に入り浸る連中を見ると反吐が出る)

女遊びが好きな男から見れば、勃起するうちがオスだぞと笑われそうだ。

(勃起は想像力!)

 

そんなことはまるで気にならないが、欲しいモノが無いという状態は、あまり心地良くない。

 

ときどき思うのだ。

この10数年、私が自転車やバッグや万年筆に入れ込んできたのは、自転車やバッグや万年筆が心底好きだからではなく、実は他にお金の使い道が無いからではないか、と。

 

 

あ〜あ、味気ない男。

マンハッタンパッセージの2190かペリカンのM800でも注文しますかな。

 

 

先週と今週は社内政治に奔走した。

大小の差はあれ、誰もが、誰かの顔色を窺いながら自分の位置取りを考え、発言し行動する。

 

今日、ある部署の管理職から「○○部長を悪く言う人は会社中探しても1人も居ないでしょう」と言われた。

褒め言葉と受け取ればいいのだろうが、それこそが私の最大の欠点と思うところがあり、素直に喜べない。

 

 

明日からお盆休み。

まずは疲れた心身をしっかり休ませたい。

溜まっている本を一冊でも多く読みたい。

自転車にも、無理のない程度に乗りたい。

 

 

鉢に植えた西洋グミが、枯れかけていた。

緑の葉は殆ど姿を失い、幹と枝ばかりが目立った。

試しに、細い枝を2、3本手折ってみた。

ポキリと乾いた音を立てて、枝はいともたやすく折れた。

慌てて水を与え、油粕を撒いた。

 

この木を枯らせば、母の怒りは相当のものになる。

けれども・・・。

 

いっそ枯れてしまってくれれば、恨みは残れど、一つの区切りになる。

 

祖母の思い出は、私の中でも大事にとってある。

そのことを言葉で説明しても、母には通じない。

形で示せ、見えるようにしろ。おまえはどうせ口ばかりだ。

母は心の中できっとそう思う。

 

悲しい。

 

 

娘が絵画展で最高賞をとり、地元紙に掲載された。

 

亡き父も、よく水彩画を描いていた。

絵のことはよく分からないが、泉下の父の喜ぶ顔はありありと浮かぶ。

 

 

飲み会帰りに事件は起きた。

自宅の方向が近い男と女が、代行タクシーに同乗した。

 

男が女に、無理やりキスをした。

胸を触り、股間に手を差し込んできた。

 

被害者女性の所属長を通じて伝わってきた事実だけを記載するとこうなる。

 

すぐさま顧問弁護士に約束を取り付け、相談。

こういうとき、男女間のトラブルに詳しい女性弁護士の知見がものを言う。

上記の事実を語る私の口が時折つっかえたのは、扇情的な表現を極力抑えようとする意識が働いたせいだ。

 

どのような処分をどのような手続きで進めるべきか。

被害者のプライバシーや尊厳を最大限守りつつ、加害者を適切に処断しなければならない。

 

悩ましい。

 

 

 

昨日今日と、子どもたちのオープンキャンパスが予定されていた。

娘は昨日無事にこなしたが、今日行くはずだった息子は手足口病の治りが今一つで断念した。

 

病気は治らず、オープンキャンパスにも行けず、息子はひどく不機嫌。

夕食時、世界遺産のニュースを聞いて、息子がYahoo!のコメントで見るようなひねくれた愚痴を連発するから、キレた。

「ああ、もう、グチグチ、グチグチ、うるさい!」

 

 

ところで、オープンキャンパスって何?

私が受験生だった頃はそんなものなかった。

 

 

階段下の収納スペースに棚を作って欲しいと妻から頼まれた。

 

ホームセンターに行き、板やネジや棚受け金具やL字金具など、材料を選ぶこと1時間半。

 

帰宅後、早速作業に取り掛かった。

ノコギリ、ハンマー、ノミ、彫刻刀、やすり、錐、ネジ回し、定規、巻尺、鉛筆・・・。

様々な道具を使い、イメージに沿って加工していく。

全身汗だく。

 

ビフォー。

 

アフター。(3時間後)

 

木工作業はけっこう好き。

 

材料代5100円なり。

 

 

やっぱり私は母を受容できない。

そのことを痛感した。

 

祖母(母の母)の形見分けという西洋グミの苗木を1本、数年前、母から貰い受けた。

こちらから願い出たのではなく、母から半ば押し付けられるようにして持たされたものだ。

実家に生えているグミの木はどんどん栄え、枝打ちだけでも毎回かなりの苦労を強いられている。

そのことを知ってる私は、庭に地植えすることが躊躇われ、あまり太らないように大ぶりの植木鉢に植えた。

母はそれが気に入らず、折に触れそのことを詰る。

あれはあんたのお婆ちゃんの形見なのだ、どうして庭に植えてやらないのか、どうしてあんな狭苦しい植木鉢に押し込んでいるのか、可哀相じゃないか、お婆ちゃんは孫の中であんたが一番可愛いと言っていつも抱っこしてくれていたのに、お婆ちゃんが悲しむじゃないか、と。

そこまでは我慢したが、「あんなどうでもいいようなドングリの木ばかり植えて」という言葉は聞き捨てならなかった。

思わず母を睨みつけ、「どうでもいいとはどういうことだ。俺はドングリが好きで、家を建てた記念樹として植えた。どうしてそんな言い方をする」ときつく言い返した。

 

83歳の老母である。

私も出来るだけ穏やかに接したいと思っている。

けれども、感情過多の母と話していると、どうしようもなく苛々し、一刻も早く逃げ出したくなるのだ。

そんな私の態度を見て母はまた詰る。「あんたは冷たい」と。

 

そろそろ同居を考えなければならないのかなぁと思うこともあるが、母の強い自己主張に触れた途端、やっぱり無理だと思うのである。

 

 

 

夕焼け空が好き。

諦念爺なんて名前を名乗るこんな男でも、あのオレンジ色の向こうに、きっと何かがあると思えるから。

 

 


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