先生に内示の話をした。
Iと私の確執については先生も十分理解してくれている。

その前提で。


「それは・・・辛いですね」
「早期退職を選んだとしても、逃げることにはならないと思いますよ」
「しがらみから抜けて明るく自由に生きていく、というのが一番いいですよね」
「ただ、ごめんなさい、私から『辞めた方がいい 』というアドバイスはできませんねぇ」
「大変だとは思いますが、もう少し様子を見てから決められたほうがいいと思います」

短気は損気、という言葉が浮かぶ。
私は短気を起こそうとしているのだろうか?

ブログや日記帳を振り返ると、4〜5年ほど前から早期退職を割と真剣に考え始めているのが分かる。

働くのが厭なのではなく、今の会社で、今の立場に居ることが苦痛だ、とも書いている。

今回の人事の有無に関わらず、私は、遅かれ早かれ早期退職の道を選ぶのだろう。

 

 

通院を終えた足でHAKATAの街を歩く。

駅ビルの中では、服やバッグや靴や帽子のお店が、華やかな商品を所狭しと陳列している。

けれども、スプリングコートもビジネスリュックも靴も帽子も、視界の表面をただ通り過ぎるだけで、気持ちはモノクロームのまま。

何を見ても、心は微動だにしない。

それはそうだろう。

視線が死んでいる。

 

トイレに向かう。

パッキンが壊れた蛇口のように、尖端から、勢いのない小便がチョロチョロと真下に零れ落ちる萎びたペニス。

背中を丸め、便器の底を見詰める。

抜けた陰毛が1本、音もなく落ちていく。

 

 

気持ちがすっかり離れてしまった。

今の会社、今の仕事、今の立場から。

 

 

期限を定めようと思う。

今の私に必要なのは、はっきりとしたゴールテープ。

転んででも、這ってでも、とにかくそこまでは辿り着く。

そう思えるゴール=58歳の誕生日。

 

58歳という年齢には2つの意味がある。

1つは、亡父が県庁マンを早期退職した年齢との一致。

もう1つは、ちょうど勤続30年に達すること。

 

今56歳と5ヵ月。

58歳まであと1年半近くもあるのだから、それとて決して簡単なことではない。

ただ、「来年の誕生日まで」と考えれば、どうにか踏ん張れそうな気がする。

それが58歳。

 

今でさえ、胃痛や腹痛や排尿障害やその他諸々の不調を抱えながら騙し騙しで何とか日々を凌いでいる。

あと僅か1滴か2滴で、私という小さなコップの水は表面張力の限界を超え、一気に溢れ出す。

そうなってしまってからでは手遅れだ。

 

早期退職後暫くは失業手当で食い繋ぐ。

制度上、長くて半年。

その間に次の仕事を探す。

58歳での転職だ。

定職に就けるだけでも御の字であり、高報酬など端っから望んでいない。

今の5分の1もあれば十分である。

 

心が壊れ、表情を失い、精神病棟のベッドに戻るのはもういやだ。

 

 

仕事に向かう途中、時間をやり繰りして心療内科。


患者さんは少ない。

ああ、バタバタでやって来たから、少し息が上がっている。

今日も帰宅後公園へ足を運び、外周をゆっくりのんびりひと回りした。

 

木々の間に夕陽が沈む頃、コケやノキシノブの生えるクスノキの太い幹にそっと掌を押し当てた。

この温もりは、いったい何だろう。

ひび割れた樹皮の内側から確かな生命の鼓動がじわりと伝わってくるようで、いつまでもこうしていたくなる。

 

ああ、そうか。

生きているのだ。

生きているから温かいのだ。

そんな当たり前のことに心を揺さぶられ、すると、つい先ほどまで胸の辺りに瘤の塊りのようにつかえていたわだかまりが、ふっとほぐれるのがわかった。

 

 

手を繋いで歩くことは出来ない。

 

 

 

ショッピングモールへ。

 

中央のイベント広場に人だかり。

竹馬に乗ったまま細長い風船を加工して動物を作るアトラクションだ。

色んな意味で私には出来ない芸当。

高い所が苦手だし、竹馬のバランスが取れないだろうし、それに何と言っても風船!

パンッ!と弾けるのが怖くて、とても捩じったり捻ったり出来ない。

見上げる少女の口はあんぐり。

首が痛くなりそう。

 

 

夕方、再び公園まで。

昨日と同じように、水戸黄門の歌に背中を押してもらいながら、ゆっくり歩く。

東京ドーム12個分ほどの敷地に、多種多様の樹木が植えられている。

 

ぼんやり眺めていたら、1本1本が、広げた両腕を天に向けてかざす人の姿に見えてきた。

すると突然、老翁のようなしわがれ声が話し掛けてきた。

「おい、そこのあんた。歩くってのはどんな気分だい?」

答えの言葉が咄嗟には浮かばない。

「いや、いいんだ。別に答えを求めたわけじゃない。俺たちと違って人間は、歩けるうちは歩かなきゃいけないことくらい知ってる。あんたももう暫くは歩くこったな」

「そうらしいね。だいぶ草臥れてしまったけどね」

声にならぬ私の声は、一陣の風に吹かれて消えた。

 

 

陽射しに誘われ、父がよく散歩していた公園まで。

自転車を停め、外周をゆっくりゆっくり歩く。

赤や青や黄色の遊具ではしゃいでいるのは、若い親と幼い子どもたち。

 

冬枯れの芝生にしゃがみこみ、無心に遊ぶ2人の幼児が目に留まる。

私にも、私の子どもたちにも、こんなときがあった。

 

 

西日を受けて伸びる影が頼りなげに揺れる。

知らず知らず、水戸黄門の歌が頭の中を流れる。

 

人生楽ありゃ苦もあるさ
 涙の後には虹も出る
 歩いてゆくんだしっかりと
 自分の道をふみしめて

 人生勇気が必要だ
 くじけりゃ誰かが先に行く
 あとから来たのに追い越され
 泣くのがいやならさあ歩け

 

悶々とした気持ちが少しだけ前を向いた。

 

 

折りに触れ、繰り返しページを捲る本がある。

上原隆。

 

 

 

東大安田講堂の地下で、72年間時計屋を営んでいる88歳の老人がいる。

僅か3ヶ月の間に、父親が躁うつ病になり、母親が癌になり、妻と別居する元キックボクサーがいる。

夫以外の男を知らぬまま55歳になった女に、「ひとりの男だけで後悔は無いか」と問う上原隆がいる。

涙を流す人が多いな、と思う。

上原隆は、通りすがりの人に「ちょっといいですか」と話し掛け、自問自答を促すような問いを挟みながら、少しずつ間合いを詰める。

時折脱線しながらも、彼・彼女の歩んできた道を一緒に辿り直し、やがて鉱脈を見付け、仄かな明かりや漆黒の闇を描出する。

読み返すたびに、100人の人がいれば100通りの人生があることを思い知らされる。

 

 

退社する頃、ポツリポツリと小雨が降り始めた。

ほんのお湿り程度。

合羽を着るほどの降りじゃない。

 

急ぐでもなく、マイペースで自転車を漕いだ。

途中から雨脚が少し強まったけれど、家まで残り1km弱。

赤信号に捕まっても、どうってことはない。


けれども、どうしたのだろう、横断歩道を渡り終えた所で突然ハンドルを右に切っていた。

 

雨宿りをしながら一服したい。

その一心でペダルを踏み、雨が避けられる川沿いの一角に自転車を停めた。

 

最後に涙を流したのはいつだったろう。

可能性で言えば父が亡くなった7年前。

悲しみに圧し潰されそうだったのは間違いないが、けれども、泣き濡れたとか涙が頬を伝い落ちたという明確な記憶や手触りは不思議と残っていない。

そんなことを思いながら煙草を吹かす。

 

今、このタイミングで、上原隆が話し掛けてきたら、私は何を語るだろう。

私の人生を掘り進めた先に、どんな光や闇があるのだろう。

 

「おいおい、ここでかよ」

小さく舌打ちしながら犬のウンチに付き合う中年男と、ほんの束の間視線が交錯した。

 

 

午前2:00。

胸がじくじく痛み、たまらず起き上がった。

階段を下り、部屋に行き、むさぼるように胃薬。

 

午前7:00起床。

雨が降っている。

平常の心持ちではなかったらしく、安定剤を飲み忘れたままハスラーで出勤。

意識に靄がかかったような違和感を覚えつつ、アクセルを踏み、ブレーキをかけ、ハンドルを切る。

10分ほど走ったところで薬の飲み忘れに気付き、急に鼓動が早まる。

赤信号を待ち切れず、車を走らせたまま左手でビジネスバッグのポケットを探る。

万一のときのために携行している予備のワイパックスが指先に触れる。

何とか引っ張り出し、口の中に1錠放り込み、ほっと一息。

 

夕刻。

今度はみぞおちの辺りに錆びた釘をしつこくねじ込まれるような痛み。

ビオフェルミンを3粒。

 

 

どんな痛みや苦痛に見舞われようと、極寒のシベリアで強制労働に従事させられた人々の苦しみに比べれば遥かにラク。

そんな風に自分に言い聞かせ、ぐっと堪える。

抑留者の苦しみなどなんにも知らないくせに。

 

 

昨夜は人事のことで悶々とし、上手く眠れなかった。

ウツラウツラしたと思ったら起床時間。

午前中に外部会合だけこなし、吉野家の牛丼を買ってそのまま帰宅した。

 

食後、暫く本を読んで過ごしたが、集中出来ない。

だったらミニラレーで散歩でも。

 

今日は最高気温が14℃まで上昇。

防寒コートが邪魔に思えるくらいの暖かさ。

 

ぼんやり漕いでいると何やら黄色いものが・・・と思ったら、やっぱり。

 

道沿いに自転車を停め、花を踏まぬように気を付けながら土手の奥へと歩を進めた。

 

風に揺れる花弁が、じっと見詰め返してきた。

可憐で健気で大好きな花。

 

 

 

「うーん、ま、しょーがない。はい、お父さん、これ」

 

「しょーがない」は照れだろう。

そりゃそうだろうな。

17歳の娘からしたら、56歳の父親なんて。

 

 


PR

Calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728   
<< February 2018 >>

Archive

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

  • 聖の青春
  • 聖の青春
    りょう
  • 明日生きていることを100%保証された人はいない
  • 明日生きていることを100%保証された人はいない
    れん
  • 『定年バカ』を読んだ
  • 『定年バカ』を読んだ
    れん
  • 後光
  • 後光
    れん
  • 赤い花
  • 赤い花
    れん

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM