帰りの自転車がしんどくてまいった。

脚に力が入らない。

向かい風でも坂道でもないのに、ギアを1つ軽くしてやっとどうにか。

 

並走するように飛ぶトンボが、ホバリングしながら私を待っている。

 

 

昨日ギブアップした娘の自転車のパンク修理に再挑戦した。

 

左サイドはこんな込み入り具合。

ブレーキ周りが特に面倒。

 

右サイドも複雑。

特にチェーンとチェーンカバー。

 

自転車をひっくり返し、全部で10個ほどのネジを外し、少々叩いたり捻ったりしてようやく後輪の取り外しに至る。

 

 

新しく買ってきたチューブ。

 

あとは外した順番に取り付けていくだけ。

と言っても簡単なことじゃないけれど。

 

約3時間かかって何とか元の状態に。

昨日と同じ轍を踏むわけにはいかないから、チューブを嵌めた段階で空気がちゃんと入るかどうかをくどいぐらい確かめながらの作業だった。

 

1つ、どうしても取り付けきれない部品があった。

それを付けると、なぜか全体の均衡が崩れ、異音が鳴るのだ。

なに、致命的な部品ではない。

黙っていても誰も気付かないだろう。

(とは思ったが、一応娘には説明した。「あ、そう」と、素っ気ない素っ気ない。)

 

 

2日掛かりのパンク修理。

ささやかだけれど、立派な執念である。

 

 

連休最終日。

夕方までは比較的穏やかな時間を過ごすことができた。

例えば小さな諍いがもとで行き来を控えていた母を車で送ったり、県の仕事をこなしたり、QUICK4でほんの10kmばかりだが散歩したり。

 

 

 

ところが。

 

夜、娘の自転車のパンク修理で躓いた。

構造が複雑な後輪。

取り掛かる前からイヤな予感はした。

格闘すること4時間。

全身汗だく、指先は血塗れ、手の甲は痣だらけになりながらも、やっとのことで作業が一段落し、ホッとしながら空気を入れたら、再びシュルシュルと抜けてしまったのにはガックリした。

もう一度同じ作業をやれと言われても、もはや気力ゼロ。

時刻も既に深夜12時に近い。

これだからママチャリは嫌い!

 

夏休みの補習があり、娘は自転車がないとたちまち困る。

明日は妻が車で送ると言っているが、肝心の修理をどうしよう。

やる気の失せた私は自転車屋さんに頼むようにと吐き捨てるように口走ったが、もう一度だけ挑戦しなければ気が済まないようにも思う。

あー、今は考えたくない。

 

明日から仕事再開。

こんな終わり方をしてしまった連休明け。

思いやられるでござる・・・。

 

 

先日、息子から、自転車のハンドルにバーエンドを付けて欲しいと頼まれていた。

予備のバーエンドは何種類が持っているから、すぐに付けてやろうと思ったが、忙しかったり体調が思わしくなかったりで、今日になってしまった。

 

息子のTREKのハンドルやグリップ周りを眺めていて、普通のバーエンドは装着が難しいことが分かった。

それで、バーエンドとグリップが一体となったエルゴングリップを付けてやった。

ハンドル幅が広すぎるから両端を2センチずつカットしたが、それでもまだ少々広い。

前カゴが無かったらもう少し調整余地があるのだが。

 

取り敢えず試走する息子。

 

うーん、やっぱり広いな。

 

 

体調が悪く、終日寝込んでしまった。

 

トイレに立ったついでに、ふらつく足で一度だけ庭に降りた。

西洋グミの植木鉢の縁にカマキリがいた。

スマホを近付けると、「オレはこの植木鉢の見張り番だぞ。ヘタな真似はするなよ」とばかりに威嚇してきた。

 

目を転ずると、赤い色が目に留まった。

3個目のトマトが生っていた。

 

 

 

夕方、息子のTREKを借りて少しだけ散歩した。

 

 

やっぱりフレームが大きい。

 

畦道を散歩する黒猫と出会った。

尻尾が長く、とても美しい姿をしていた。

 

チョンチョンと舌を鳴らすと、警戒しながらゆっくり近付いてきた。

 

 

 

 

 

 

もの心ついた頃から、私の側にはいつも猫が居た。

最初の1匹はチョロと名付けられた三毛猫だった。

夜はいつも一緒に布団にくるまって寝た。

 

長じてからも猫が居なかったことはなく、多いときは7〜8匹飼っている頃さえあった。

それはそれは賑やかだった。

母は根っからの猫好きで、飼っている猫がある日不意に姿を消しても、程なくして別の野良猫がどこからともなく現れることが続いた。

同じ屋根の下でそれだけ長く暮らしながらも、父はなかなか猫に馴染むことがなく、足元にニャアと近寄ってくると「しっ、しっ」と言って追っ払っていた。

その父も、子どもたちがそれぞれに独立して実家を出払い、70も過ぎた頃からは、それほど邪慳にすることがなくなり、老夫婦にとって猫は常に家族のような存在であり続けた。

 

父が亡くなる数年前から、実家で猫の姿を見ることがなくなった。

近所に猫嫌いの家があり時々揉めていたというのもあるが、年を取った母が、飼い猫の死の悲しみに耐えられなくなったことが大きい。

 

 

 

黒猫は、ひとしきり私に纏わりついて愛想を振りまいた後、一度も振り返ることなく畦道の奥に姿を消した。

 

 

裏木戸の鍵が壊れてしまった。

手軽で安いラティスで組んでもらったから、木枠の材質が弱く、ネジ釘を留めた部分が割れてしまったのだ。

 

ホームセンターで扉のあおりを止める掛け金を買ってきて修理した。

 

改めて見ると、掛け金の固定部品と可動部品を逆に取り付けてしまったようだ。

図解によると、柱の方に丸い輪っか状の固定部品を取り付けるのが正解だったらしい。

 

支柱と扉に隙間があってユルユル。

あまり長持ちしそうにない。

あくまで応急処置、だな。

 

 

修理に出していた息子のスマホを受け取りに行った。

 

いつ切り出そうか。

戻りの道すがら、ハスラーのハンドルを握りながらタイミングを計っていた。

信号が青から黄色に変わり、ブレーキペダルを軽く踏み込んだところで後部座席の息子に話し掛けた。

「このあと何か予定あるか」

「いや、べつに」

相変わらず無愛想でボソボソ。

「お父さん、久しぶりにバッティングセンターに寄りたいが、いいか」

「え、ああ・・・べつにいいけど・・・」

 

バッティングやピッチングやテニスや卓球で遊べるこぢんまりしたスポーツスタジアムの駐車場に車を乗り入れた。

「ここ、来たことあるか」

「1回だけある。少年野球やってたとき。ぜんぜん当たらなくて、恥ずかしくて、イヤになった」

 

階段を上り始めると、ボールを打つ金属性の乾いた音が「カキーン!  カキーン!」と響いてきた。

最後の1段を上り終えると、目の前にグリーンの防護ネットが広がっていた。

 

私自身、バッティングセンターに足を運んだのは20数年ぶりのこと。

ずらりと並ぶマシーンとゲージを前に、勝手が分からず戸惑っていたら、息子はさっさと1人で左手奥に歩いて行った。

息子が行った方に一旦向かおうとしたが、父親に見られていては楽しめないだろうと思い直し、右手にある事務所の女性に声を掛けた。

利用方法を尋ねたら、ニコリと微笑み、「空いているゲージでご自由に」と言われ、それ以上の質問を封じられてしまった。

 

息子はもう打ち始めているのだろうか。

 

ブラブラと通路を歩き、取り敢えず「時速100km」と書かれたマシーンのブースに入った。

隅に大小2本の金属バットが置いてある。

隣りのブースでは、60がらみのおじさんが黙々とバットを振っている。

 

コインを投入する機械の説明を読んでみた。

「1回200円、21球」。

それだけしか書かれていない。

不親切だなあと思いながら、コイン投入口に100円玉を2個落とし込んだ。

さてと、お次はどうするのだろう。

どこかにスタートボタンがあるはずだ。

と思っていたら、いきなりボールが飛んできてびっくりした。

時速100kmのボールはそのままバックネットのビニールシートを直撃し、「バスーン!」という割れた音を鳴らしてその場にコロコロと転がった。

呆然としていたら、続けざまに2球目が飛んできた。

おいおいちょっと待ってくれよ、こっちはまだ準備ができてないんだよ、財布持ったままだし、バットも構えちゃいないんだ。

とぼやいたところで、ピッチングマシーンは機械的にボールを投げ込んでくるばかり。

急いで財布をポケットに突っ込み、長い方のバットを掴んでバッターボックスに立ち、飛んできた3球目を慌てて振った。

みごとに空振り。

5球目だか6球目だかでようやくバットとボールが掠った。

10球目だか11球目だかでようやくそれなりの当りが出始めた。

最後を空振りで締めくくり、全21球はあっと言う間に終わった。

 

背後に人の気配を感じた。

先に1回目を終えた息子がいつの間にかこちらにやってきて、ネット越しに私のブースをじっと見ているのだった。

 

息子がすぐ隣りのブースに入り、2回目を打ち始めた。

 

幾分上気した顔で3回目の21球を打ち始めた息子を、私は黙って見守っていた。

 

 

帰りの車中。

後部座席から隣りの座席に乗り換えていた息子が、

「ここんとこずっとペンしか握ってなかったから、マメができた」と言って、赤く擦り剝けた左手の指の腹を私に見せてきた。

 

 

「そうか、今日は給料日か」。

そんな風に思うようになったのはいつ頃からだろう。

 

独身で若かった頃は給料日前に使い果たすこともあったし、結婚してからは、家賃や電気代を稼いでいる感覚が強く意識され、給料日は常に「待つもの」だった。

 

心の病にたびたび斃れたことで、出世や昇進は遅かった。

42歳で管理職になり、その後は精神面でも比較的安定した日々が続いた。

給料も、幾度か訪れた会社業績の低迷時に数万円単位で落ち込むことはあったものの、均して見れば順調に伸びた。

家を建てた際にかなりの借金をしたが、予定通りにいけばあと4年ほどで完済する。

 

「そうか、今日は給料日か」。

明細が配られたときにそんな風に思うようになったのはここ数年のこと。

給料日が、いつの間にか「待つもの」から「来るもの」に変わっていたのだ。

 

病気や老後の心配はあるにせよ、今日明日たちまち困窮するようなことがない暮らしが出来るのはとても幸せなことだ。

それは間違いないが、一方で、そういう日々が続くことは、生き甲斐や頑張る力の原動力を減ずることでもあるのだと最近は思う。

 

 

枯らしてはいけない。

厄介ごとをこれ以上増やしたくはない。

その一心で、家の北川の駐輪場脇に置いていた西洋グミの植木鉢を南の庭まで転がして運んだ。

 

 

朝食をとっているとき、それとなく妻の反応を窺った。

「このあいだ、おふくろからグミの木のことをまたいろいろ言われた。枯らしたらマズイだろうなぁ」

窓越しに庭を見遣りながら、

「あの辺りだったら地が痩せてるから、植えてもあんまり大きく育たないと思うが」と独り言のように呟いた。

妻の眉間が険しくなった。

「お義母さんのところもグミの木で随分困ってるじゃない。生い茂るたびにあなたが駆り出されて枝打ちさせられて。私、ああなるのはイヤですから。それに、地植えをしたらしたで、今度は実は生ったか、食べたかと、お義母さんいつまでも確かめに来るから」と言い募った。

話を逸らそうとして「ドングリの木も、俺が居なくなったら手入れが面倒だろうなあ」と口にしたら、妻の表情がさっと硬くなり「どうしてそんなこと言うの」と言ったきり黙り込んだ。

気まずさから逃れるようにテーブルを離れた。

 

 

グミの木は生命力が強く、樹幹も強靭で、太くなると日曜大工で使う程度のノコギリでは容易に切れなくなる。

根の張り方も旺盛で、護岸のコンクリートを引き裂くほどだ。

 

じっくり眺めると、緑の葉は幹の根元に近いところにほんの数枚残っているだけで、あとはご覧のとおりの有り様。

 

どうしてこんなことで嫁姑問題になってしまうのか。

そんなことを心の中でぶつぶつぼやきながら、シャベルを使って出来る限りの土替えをし、水を染み込ませた。

 

グミの木に罪は無い。

今は命が絶えないことを祈るばかりだ。

 

 


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